2015.07.03

クールな目を養う

ブルーカレント・ジャパン株式会社 代表取締役 / 本田哲也

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ブルーカレント・ジャパン株式会社 代表取締役 / 本田哲也(ほんだ・てつや)

1970年生まれ。戦略PRプランナー。
セガの海外事業部を経て、フライシュマン・ヒラード日本法人に入社。
2006年、グループ内起業でブルーカレント・ジャパンを設立し代表に就任。
2009年の著書『戦略PR』(KADOKAWA)で広告業界にPRブームを巻き起こす。
国内外の大手顧客に戦略PRの実績多数。
著書に『最新 戦略PR 入門編・実践編』(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)
『広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。』(共著。ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。
2015年よりJリーグのマーケティング委員に就任。
アドテックトーキョー、カンヌライオンズ2015公式スピーカー。
世界的なアワード『PRWeek Awards 2015』にて「PR Professional of the Year」を受賞。

 

ブルーカレント・ジャパン株式会社 コーポレートサイト : http://www.bluecurrentprjapan.com/

 

 

【挫折からチャンスを掴みPR業界へ】

本田さんは学生時代どのように過ごしていましたか?

 アメリカに1年留学していました。その経験がなかったらこうして起業もしていないし、PRの仕事もしていないかもしれませんね。成人してからの最初の転機がその留学でした。
 

留学先ではどのようなことをしていましたか?

 最初の5ヶ月は主に語学の勉強をしていました。今でこそ外資系で15年仕事していますが、当時は英語ができなかったんです。現地の大学ではESSに入り英語の勉強をかなりしました。始めは大変でしたがある程度海外に慣れてきて、カレッジに編入してからは、コミュニケーションやエンターテイメントの勉強を始めました。

始めから広告やPRの仕事をしようと思っていたわけではなかったんですね。

 そうなんですよ。僕の10代はエンターテイメント、特に音楽や映画で過ごしていて、当時はアメリカやイギリスの文化に染まっていました。それでエンターテイメントを仕事にしたいと思って、カリフォルニアで過ごしていました。しかし、映画の道はなかなか難しく、専門のある大学にも結局行けませんでした。他にエンタメ業界でグローバルにキャリアを始めるにはと考えた時に、ゲーム業界がいいんじゃないかと思いました。任天堂や、セガなど、日本のゲーム産業は世界を相手にしているので、日本で就職しても世界を舞台に仕事ができると思い、就職活動はゲーム業界に絞ってセガに就職しました。ところが、世界で仕事をしようと思っていたのに、アミューズメント配属になり最初はゲームセンターで2年間働きました(苦笑)。当時は灰皿を拭いたりの毎日です。200人くらい営業職の人が入りましたが、最初から本社に行ける新入社員は数人で、ほとんどは全国のアミューズメント施設に配属になりました。当時はあまりの現実とのギャップに苦しみましたね。

そこからどのように立ち直ったのですか?

 「海外で仕事をしたい」としつこく言っていたら、チャンスがあり海外事業部に異動できて、そこでうまく気持ちを切り替えることができました。僕の中では本当のキャリアはそこから始まっているんですね。社会人になって3年目に希望の部署に行けたわけですが、就職活動よりも社内就職活動のほうが大変でした。

念願の海外事業部に異動できたのに、そこからPR業界に移られたのはどういう理由があるのですか?

 念願叶って海外を相手にエンターテイメントの仕事ができるようになったので、もちろん満足して仕事をしていたんですが、結局2年しか海外事業部にはいませんでした。というのも、製品を海外に売ろうと国内に売ろうと、自分ではなくて人が作ったものを売っているわけですよね。ゲームもプリクラもとても人気なので世界中で売れるんですが、それって僕が思いついたわけじゃなく、企画に何も携わってないなと思ったんです。どちらかというと、自分は生み出すほうに興味があり、出てきたものをただ売って価格交渉をすることがおもしろくないなって気づいたんですよね。その時が29歳で、来年からセガに残るか転職するか考えました。どっちにしろ来年から30代が始まるから、決めるのは今なんじゃないかと、もやもやした気持ちでいました。そんなときに、フライシュマン・ヒュラードという世界3位のPRファームに声をかけてもらいました。そのときに初めてPRを知ったんですが、セガの上司がフライシュマン・ヒュラードの日本法人を立ち上げセガをやめ、僕に「セガをやめてこっちに来ないか」と声をかけてくれたんです。そのときに、PRってそれほどすごいのか、と調べ始めたら、言葉やストーリーで商品の需要をつくったり、世界中の選挙を動かしたりなど、そのダイナミックさに驚かされ、転職を決めました。

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