2011.03.07

将来の夢を10個くらい決めてみてください。
10個と言わず、沢山の夢を持って下さい。

アスク株式会社 / 三浦博史

三浦 博史

アスク株式会社 三浦 博史

今回取材をさせて頂いたのは、アスク株式会社代表取締役の三浦 博史さんです!
「当選」という共通のゴールを目指し、候補者にふさわしい選挙キャンペーンのプランをチームの一員としてプロフェッショナルにリードしていくのをミッションにしているアスク株式会社を起業された経緯、
そして「勝率90%超の選挙プランナー」と紹介される日本初の選挙プランナー、
三浦さん自身のお話しを紹介致します。

 

「日本とアメリカでは選挙の持つイメージが全然違った」

学生時代のお話しを教えてください

 小中高と公立で学び、浪人生活を経て慶応義塾大学法学部に入学しました。 
大学では、広告学研究会に在籍し、今や「アナウンサーの登竜門」と言われるほど有名になった「ミス慶應コンテスト」も私たちが第1回目を企画し、主催したものです。同時に、ボランティアとして「国際交流活動」も行っていました。 
 国際交流活動は現在も続けており、1992年には総務庁(現内閣府)主催の「第4回世界青年の船」でナショナルリーダー(青年代表)として参加し、2002年には同じく総務庁主催の「第7回青年海外派遣事業」のフィンランド団団長等の活動を行ってきました。財団法人青少年国際交流推進センターの評議員も務めています。

三浦さんの経歴を簡単に教えてください。

 大学卒業後、安田信託銀行に入社し、その後、当時、自民党の衆議院議員だった椎名素夫代議士(故人)の公設秘書を務め(1979〜1988年)、その間、社団法人国際経済政策調査会事務局長、ジョージタウンフォーラム・オブ・ジャパン(会長:安倍晋太郎)会長秘書役等を歴任しました。
 そして、1988年に米国国務省の個人招聘プログラムにより、米国の政治・選挙事情の視察に行きました。 
そこで、アメリカの選挙を間近に見て、日本とのギャップを感じ、こうした選挙手法を日本に持ち込むことで日本の選挙に対するイメージを一新しようと考え、1989年日本初の総合選挙プランニング会社「アスク株式会社」を設立しました。以来、数多くの国政・知事・市区長・地方選挙を手がけています。

銀行勤務からどうして代議士公設秘書になろうとお考えになったのですか?

 当時、ボランティアとして、故椎名素夫先生が主宰するパーティシペンションという活動(年会費1万円で、その原資で留学生の緊急支援金[盲腸や歯の治療等]として活用するもの)に参加し、そこで椎名先生と出会い尊敬していました。その後、椎名先生がお父様(椎名悦三郎氏:元外務大臣、自民党副総裁)の後を継いで衆院選に立候補された際、お手伝いをさせていただき、当選と共に秘書として9年間務めたのです。
 椎名先生もお父様同様に「外交通」として有名で、その間、各国のVIPと接する機会も数多く得て、非常に貴重な経験ができたと思っています。そんな時に、米国国務省から個人招聘プログラムでのご招待をいただいたのです。

米国国務省個人招聘プログラムで米国の政治・選挙事情の視察をしてきてみてどう感じましたか?

 非常にカルチャーショックを受けました。日本とアメリカでは選挙の持つイメージが全然違ったのです。 日本の選挙は候補者自己満足型でとても暗いイメージばかりが目立っていました。アメリカの選挙を見てみて下さい。観衆を取りこむ参加型の選挙です。選挙自体がお祭りのように盛り上がります。
 もっと日本も選挙を楽しくしていかなければ、民衆の声、参加を取りこめないと痛感しました。

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