2011.11.22

自らの「専門性」を意識

株式会社ループス・コミュニケーションズ代表取締役 / 斉藤 徹

斉藤

株式会社ループス・コミュニケーションズ代表取締役 斉藤 徹

今回取材に伺ったのは株式会社ループス・コミュニケーションズ代表取締役社長の斉藤徹氏。 
 1985年3月慶應義塾大学理工学部卒業後、同年4月日本IBM株式会社入社、1991年2月株式会社フレックスファームを創業。2004年同社全株式を株式会社KSKに売却。2005年7月株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開している。公演回数は年間100回を超え、2011年の「Webクリエイション・アウォード」ではWEB人賞を受賞。「ソーシャルシフト」「新ソーシャルメディア完全読本」「ソーシャルメディア・ダイナミクス」など著書も多数。 
 「今の僕の人生のプライオリティは心の幸せ」そう笑顔で語る斉藤氏。ソーシャルメディアの世界で、その名を知らない者はいないでしょう。しかし、そこに至るまでには、多くの失敗と成功がありました。今回はそんな斉藤氏が考える「起業の魅力と現実」について、迫りました。

 

バブルの怖さを知ることになりました。

起業を意識し始めたのは、いつごろでしょうか?

 大学卒業後、日本IBMに入社したんですが、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで大きな影響を受けました。もとからチャレンジ精神が強く、人と同じことをするぐらいが大嫌いな性格だったこともあり、20代で何かしたいと思うようになったんですね。ありがたいことに日本IBM内では評価をいただいていましたが、将来、自分の人生を振り返った時に、このままでいいのかなっていう思いが生まれはじめたんです。


大学時代は起業するつもりはなかったのですか?

 大学時代は、遊びに没頭していました(笑)。大学の近くにある雀荘で、麻雀を四六時中してました。それに毎晩飲み歩いてましたね。ただ、当時流行っていたテレビ番組「俺たちの旅」の中で、中村雅俊演じるカースケが仲間たちと「何とかする会社」をつくって頑張っているのを見て、強い憧れを感じてはいました。で、よく友人たちと「そのうち会社つくろうぜぇ」とか言っては酔っ払ってました。そのうちの一人が、当社ループスの副社長である福田だったんです。彼は大学の同級生で一番真面目なグループに属していて、僕は一番不真面目なグループに(笑)。成績は最悪に近く留年もしましたが、おかげ様で、僕が5年生の時に年間2000人採用をはじめた日本IBMにすべりこむことができました。ラッキーだったかも

IBMに入社されてからの斎藤氏の仕事ぶりは…。

 入社してからは真面目に勉強して仕事しましたよ。初年度に外人が多い組織に配属されて英語で挫折も味わいましたが、組織替えをきっかけに相当がんばりました。常に一番難しい仕事にチャレンジしたいタイプでしたね。20代のうちに目の前の仕事を徹底的にこなすってことは、人生の基礎をつくる上で大切なことだと思います。

 

そこから起業されたんですか?

 副業でシステム設計やプログラミングをやっていて、そこからの収入の方がIBMの給料より多い時もありました。当時は結構スーパーエンジニアだったかも。今は面影もありませんが(笑)。そういった経緯もあり、29歳でIBMを辞めて独立して、フレックスファームという会社を創業しました。1991年のことでした。

 

フレックスファームでは、どういったことをされていたんですか?

 ちょうどその頃は、ダイヤルQ2が流行り始めていて、そのための音声配信サーバやソフトウェアを開発する事業をしていました。ブームにのるカタチで会社は急成長し、1年足らずで月商1億円を達成することができました。でもNTTの規制でバブルはすぐに弾けました。当時は経営者として本当に未熟で、すぐに資金繰りもたちゆかなくなりました。で、プレゼンテーションは得意だったんで、安易なお金集めに奔走しました。社員数30名、売上5億円程度の会社でしたが、銀行からの借入は7億円を超え、いつ倒産してもおかしくない状態が断続的に続いたんです。最近のベンチャー企業は、うまくいかないと会社を整理してすぐ次にチャレンジするという傾向が強いですが、どうにもならないような鉄火場を経験することは、経営者にとって最も成長できるステップかも知れません。ただ正直、人生で一番つらかった時期かもしれません(笑) 

その後、会社は潰れてしまったのですか?

 いや、しぶとく地を這いながら生き延びて、2000年のベンチャーバブルの時に蘇りました。携帯コンテンツ変換エンジン「X-Servlet」という製品を世に出して注目を集めたんです。世界中のベンチャー企業が同様のコンセプト製品を発表しましたが、その分野のリーディング企業として日経新聞製品賞や広告賞をいただきました。そんなこともあり、インテル、メリルリンチ、住友商事、三菱商事、アサツーDK、光通信、ソフトバンクなど錚々たる企業から出資を受け、資金調達総額は30億円を超えるほどでした。

30億円!ではその後、大成功を収めたんですか?

 それが違うんですね。そこでバブルの怖さを知ることになりました。30億円もの資金調達をしたので、僕自身、株主としてのトップシェアを維持するために、銀行から3億円の借金をして自社株を購入していました。ところがバブルがはじけ、株式上場の見通しがつかなくなったため、銀行から強く返済を要求されるようになったんです。それが原因となり、株主の意向で、私は会社から追い出されることになりました。で、手元には3億円の借金だけが残ったんです。

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