2010.09.15

アイカンパニーであれ

株式会社リンクアンドモチベーション / 小笹芳央

小笹さん

株式会社リンクアンドモチベーション 小笹芳央

1986年 ㈱リクルート入社。人事部人材開発課長、組織人事コンサルティング室長など一貫して組織人事領域を歴任。
2000年 ㈱リンク&モチベーション設立
2007年 東証二部上場
2008年 東証一部上場
2010年 グループ会社7社の代表を務める

 

「学生時代、そしてリクルートでの14年間」

小笹社長はどのような学生時代をお過ごしだったのですか?

大学2年生の時にサークル団体を立ち上げ、その代表者として3年間、その団体の拡大に注力していました。ですから、勉強はあまりしていなかったですね(笑)。

当時の活動を振り返ってみて、今に活きている事はありますか?

サークルは、目的が体育会のように単一ではないので、いろんな人がいろんな目的で入ってきます。私たちの団体は、夏はサーフィン、冬はスキーといったシーズンごとの活動が主だったので、シーズン系のスポーツに興味のある人もいれば、学生時代に東京で一旗揚げたいという想いを持った人もいました。一方、彼女が欲しいといったよこしまな気持ちで入ってくる人もいましたね(笑)。
 だから、そこでリーダーとして束ねていくというのは、凄く難しかった。この経験で、リーダーシップを鍛えられた部分はありますね。

就職活動のお話をお伺いさせて下さい

最終的にリクルートに決めたわけですが、正直、就活の時はやりたい事が明確ではありませんでした。でも大阪から東京に出てきて、大学で大規模な団体を立ち上げた自負もありましたので、もう一旗揚げたいという気持ちはありました。
 業種、業界を問わず様々な会社を回っていたのですが、ある人から、「大きな事をしたいんだったら、鉄鋼メーカーとか造船会社とかそういうところがいいよ。すごく大きな事を扱えるよ」と言われた時に、「自分は別に大きいものを扱いたいわけではないんだ」と気づきました。

では、どのような軸で就職先を決めたのですか?

 やりたい事がいまいち分からず、うまく言葉にできませんでした。それであれば、どういう人達とやるか、どのようにやるか、つまり会社の風土とか会社にいる人の魅力で決めようと、就職活動の後半に方針転換をしました。それからは、「とにかく魅力的な人と一緒に働きたいんです」と、本音で話すようになりました。そうすると不思議とうまくいくようになって、商社に内定をいただき、一旦、就活を終えたのです。

元々はリクルートではなく、商社に行く予定だったのですね。

そうですね。商社への入社を決断後、リクルートからアプローチがあって、はじめは冷やかし半分でリクルートに行ったのです。学生時代の団体の立ち上げの話を根掘り葉掘り聞いてくれるわけです。先ほどはかなり端折ってお伝えしましたが、いろいろ話しているうちに、「小笹君はリクルート向きだね。」と言われるようになって、そこから熱烈に口説かれたのです。

何故リクルートに決めたのですか?

当時のリクルートは、知名度もないけれども、急成長している怪しい会社という印象でしたし、リスクはあると思っていました。入社何年後にリクルート事件で、全国的に有名になりましたが、当時は親に「就職、リクルート決まったで」と言っても、「え、何?ヤクルト?」というぐらいの知名度でしたから。
 しかし、「自分がいつ中核ポジションに就けるか?」と考えた時に、当時の商社の平均年齢は40歳。一方、リクルートは平均年齢25歳だったのです。その組織の平均年齢に達するまで、15年間も差がある。圧倒的なスピードを持って成長するなら断然後者だな、と考えリクルートを選びました。だからリクルートがどんな事業をやっているかとか、正直よく知りませんでしたね。

入社をされてから、7年間採用活動に従事されましたが、ご自身で希望されたのですか?

いえ、違います。たまたま人事部に配属されただけですね。当初は営業志望でした。内定者の時、アルバイトとしてほぼ毎日、社員の方と同じように営業マンとして勤務していました。それなりに成績も出していたので、絶対に営業に配属されるものだと思っていました。しかし、蓋を開けてみたら人事だったのです。「ええっ?」とびっくりしましたね。

小笹社長は当時、どのような基準で学生を採用していましたか?

『寄らば大樹の陰』という考え方ではない学生さん達ですね。もともと終身雇用、年功序列みたいな形の会社ではないですし、独立志向が強くて会社に依存しない、そういう人達を徹底的に狙ってリクルーティングしていました。