2016.06.28

大企業とベンチャー企業の架け橋になる

有限会社ロッキングホース 代表取締役 森部好樹

moribe

興業銀行時代、森部さんはどのようなキャリアを積まれてきたのでしょうか?

35歳から40歳くらいまでニューヨークの支店で勤務をしていました。

そしてニューヨーク勤務を終え帰国すると、日本はバブル景気まっただ中で、銀座の土地が1坪1億5000万円という破格な金額にまで跳ね上がっていました。

当時、多くの銀行は「土地価格が上がり続ける」という神話に乗り、企業が所持する不動産を担保に、莫大な融資をしていました。

そんななか、私はTSUTAYAやギャガといった当時では新しいビジネスを展開する企業に融資していくことにしました。

なぜ、ほかの銀行員がバブル景気を利用して融資を拡大させたのにも関わらず、森部さんは成長企業に融資をしていったのでしょうか?

ニューヨークの同僚が「土地の値段が上がり続けるのはありえない。必ずバブルは崩壊する」とアドバイスしてくれました。

土地の値段が何で決まるのか、それは土地でどれだけの利益を生めるかどうかです。土地の価格に対して建物で生み出される利益には、限界がありますよね。

だから、不当に高騰した土地価格というのは、いつか必ず適正な価格に戻ろうとする流れが起こります。

その予測を信じ、私は融資する企業をニュービジネス中心に変えました。そして4年間で260社もの新規開拓を行います。

その結果、バブルが崩壊した時に私が融資していた企業は、投機的な不動産投資をしていなかったため、無事に返済をしていきました。一方で、企業の不動産に投資をしていた企業は潰れて行きました。

そうなると、不動産投資をしていた企業に融資していた同僚たちの評価が下がり、自然とニュービジネスに融資していた私の評価が上がりました。

ニュービジネスに融資した理由としては、私が天邪鬼な性格だったこともありますが、一番の決め手としては、経営者として魅力的な人が多かったことです。彼らは、投機による利益追求に走らず、新しい文化や価値を創造することに尽力していました。そういう志を持つ経営者を支援したいという気持ちが強くありました。

4年間で260社という融資企業数は、後にも先にも更新されていません。

なぜなら、もう日本興業銀行はありませんからね(笑)

バブルの後遺症により銀行が苦しくなる中で、「ビックカメラに出向してみてはどうか」という話が銀行からあり、50才も近づいていたので良いチャンスだと思い1999年にビックカメラの役員として出向しました。その半年後、ビックコンタクトという子会社の経営をすることとなります。

それが思いのほか上手くいきまして、1年で4億の利益を出すことに成功しました。

その成功体験をもとに、今度はビックカメラの外でメガネ販売店を経営することになります。

銀行勤務の時代からJRの役員との繋がりがあり、JRの小さなスペースを借りてメガネストアを始めたのですが、これがまた上手くいきました。

しかし、ビックの上場に伴い株式がビックから移ったために、銀行から広告代理店の経営者になってほしいとオファーがあったこと、さらにメガネストアの新しい株主が社長になりたいという希望もあり、私は広告代理店の社長を務めることとなります。

60歳を迎え、安泰を約束されたのはいいのですが、どうせなら最後に大きな挑戦をしたいと思うようになりました。

そして広告代理店ビジネスを展開していくには、これからはインターネット広告がくると予想し、思い切って広告のターゲットをインターネットに大きく軌道修正しました。

ところが、当時インターネットに詳しい社員は誰もいなかったんです。(笑)

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