2011.06.06

世界一の営業マン

ソーシャル・アライアンス株式会社 / 桑原正守

桑原 正守

ソーシャル・アライアンス株式会社 桑原正守

18歳 高校卒業後すぐに松屋デパートのウェイター
19歳 新聞の拡張員
20歳 受験教材のフルコミッション営業
21歳〜23歳 家電販売、美容、化粧品販売、数々のフルコミの仕事を積み重ねる
24歳 起業、アメリカの大手能力開発も教材の代理店となり翌年売上部門(個人・代理店・マネージャー)で世界一を獲得。史上初の3冠となる。
2003年 世界一売り上げていた会社を手放し、「現ソーシャル・アライアンス」設立。
2009年 代表取締役会長に就任。現在も4会社のオーナー。

「世界一の営業マン」

どのような少年時代を過ごしていらっしゃいましたか?

 幼少の頃から社長であった父に憧れていました。小学校1年生の冬に大火傷をして長い入院生活を強いられ、春に学校に戻ると勉強面で同級生より遥かに遅れてしまっていたんです。それがきっかけで勉強が嫌になってしまい、両親から「私達も小学校しか出ていないし、勉強だけが全てじゃないよ」と言ってくれた為にますます勉強をしなくなりました(笑)。勉強をしない分、いたずらや空想をする事が多かったですね。それと父とドライブをしている時に父は山を見て「この辺にゴルフ場やホテルを作ってみると良いと思うんだけど、お前はどう思う?」等と言って僕に想像を働かせるように仕向けてくれましたね。
 勉強は確かに出来ませんでしたが、そのような空想を働かせる体験は今となっては大切だなと感じています。  そして幼少の頃から上京したいという思いはありましたが勉強していなかった事もあり名前さえ書ければ入れる高校に入学しました。でも面白い子も多くてそんな子達と青春時代を過ごしましたね。卒業後は上京し銀座の松屋デパートのウエイターとして就職しました。

そこでの仕事はどのようなものでしたか?

 父のような社長になりたい一心で一生懸命仕事をしていると上司から可愛がられるようになりお客様がチップをくれる事もありました。ただチップも何度も貰うと同僚達から嫉妬の目で見られてしまう、頑張ってる人間がやっかまれる様なレベルの低い環境でした。ですから「早くお金を貯めてお互いが切磋琢磨できるような会社を作りたい」という風にますます起業へのモチベーションが高まりましたね。
 そして19歳の後半頃にお金をためて自己啓発のセミナーに参加しました。その中である経営者との出会いがあり、「将来社長になりたいなら、今のウエイターを直ぐ辞めて完全歩合制の営業の仕事を探せ!お前が社長になれるかどうか試してやる。」との言葉を頂き、すぐにウェイターを辞めました。完全歩合制なら事業資金も稼げるし経営者の資質も学べて一石二鳥だと感じましたね。それに当時完全歩合制の営業の仕事は稀だったので、それも魅力的でした。当時はアルバイトニュースを購入し、チェックして電話をかけて仕事を見つける、そんな時代でした。
 僕はいま4つの会社を経営しているんですが、全部自分で資本金を入れています。僕には自分の稼いだ金で会社を設立したいというポリシーがあったので当時業績次第で沢山稼げるというのは魅力的でした。学生さんの場合は誰かの出資を頼りにアイディアだけ出して起業する事が多いかもしれませんが、その場合は潰れやすいと思います。自分の身を削って出資した場合と重みが違うんですよ。だから僕は自分と同じ境遇で起業した人と出会った時は本当に嬉しいですし、お互いの空気感ですぐに親友になれます。

なるほど、そしてその営業のお仕事はどのようなものだったんですか?

 その時セミナーで出会ったその経営者は「完全歩合の仕事でトップになったら次の仕事でトップを目指せ、有頂天になるな。」と僕の本気を試すような言葉も言い残されました。今となってはありがたかったです。最初に見つけた仕事は新聞の拡張員だったんですが、これが本当に楽しかったんですよ。先輩も訳ありの人ばかりで、強面の人が多かったんですが可愛がって貰えました(笑)。おかげ様ですぐに売上げトップに立つ事が出来て、給料も日払いで毎日2〜3万円は貰っていましたね。

すごいですね、元々営業のセンスはあったのでしょうか?

 そうかもしれません。父が社長であった為周りに大人が沢山いた関係で人に慣れていたんですよ。だから今の若者ってかわいそうだと思うんです。小さい頃から「知らないおじさんと喋っちゃいけません」なんて教育されてたら人慣れしないじゃないですか(笑)。だからこそコミュニケーションのトレーニングが必要ですよね。もう学校の勉強が出来れば勝てる時代は終わったんです。昔はそれで勝てていたのは、パソコンが無かったからです。パソコンが無い分素早く情報を処理できる頭の良い人間が重宝されていました。
 でもパソコンが登場して頭のよさは必要なくなり、今度はバイタリティ、プレゼン能力、問題解決能力等が必要になりました。若い子達にそういった能力を培って欲しいという思いから今の会社を設立したんです。

新聞の拡張員の次はどのようなお仕事を?

 受験教材の訪問販売を行い、その次に家電販売を行いました。19、20歳の頃ですね。その受験教材販売の頃に今の会社の社長の岡根と出会いました。意気投合してからというもの彼の早稲田のアパートに転がり込んで入り浸っていましたね。ただ彼は営業の方は今ひとつで、2人でオーストラリアに行く約束もしていたんですが彼は胃潰瘍で倒れてしまい僕1人で行く事になりました。それ以降営業で半年稼いで半年海外旅行に行くというものにハマってしまったんです。その頃から岡根の方も営業の成績を上げ始めて2人で良いマンションに引っ越し、今度は化粧品の販売に携わりました。かなり割の良い仕事で毎日のように寿司食ってましたよ(笑)。ただ化粧品の販売では凄く売る女性がいてなかなか1位になれなかったんです。「このままじゃマズイ」と思ってSMIという120万円もする能力開発の教材を購入して勉強し、1位に上り詰める事ができました。
 同僚達もビックリして何故売り上げが上がったのか聞いてくるので経緯を伝えると、反応が人によって別れるんです。成績の良い人は「良いなそれ!紹介してよ!」という反応、そこそこの人は「へ〜そうなんだぁ。」という反応、成績の悪い人は「バカだなぁ、そんな大金はたいて。」という反応にくっきり分かれて面白かったですね。そして同僚に言われるがまま紹介しているとその教材が飛ぶように売れて、その会社の社長から「ウチで働かないか?」とお誘いを受けました。そこで僕は「丁度良い!」と思ったんです。その教材は世界80カ国で展開されていたので、その業界でトップに立つという事は世界80カ国のトップに立てると思ったので喜んでお誘いを受けました。
 そこでもトップに立つことが出来、「世界一の営業マン」という称号を手にする事が出来ました(笑)。そしてお仕事の紹介を転々としている内に25歳で社長になったんです。社長としての経営は未経験でしたが、プログラム通りのセオリーでやっていたら思いのほか上手くいってバンバン売りましたね。

 

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