2011.06.06

日本人は不定形生物アメーバだった??

エンジェル事業家 / 加藤順彦

加藤 順彦

エンジェル事業家 / 加藤順彦

プロフィール

大学在学中に(株)リョーマ、(株)ダイヤルキューネットワークの設立に参画。
(株)徳間インテリジェンスネットワークを経て1992年、有限会社日広(現GMO NIKKO株式会社)を創業。
2008年、NIKKOのGMOインターネットグループ傘下入りに伴い退任しシンガポールへ移住。移住前は個人エンジェルとして、日本国内30社を超えるスタートアップベンチャーの第三者割当増資に応じるとともにハンズオン支援してきた(うち8社はその後上場)。 
現在はシンガポールにて若き日本人起業家への投資&支援をおこなっている。
主な投資支援先はアパレルのsatisfaction guaranteed 、ファストカットのMJ TOKYO、お土産開発のMariposa、プレスリリースサービス@press/レンタルオフィスCROSSCOOPの未来予想、 アジア進出支援コンサルのパンアジアパートナーズ等。
関西学院大学商学部 非常勤講師も勤める。

 

「アジア全体を見渡しながら商売しよう」

まず自己紹介からお願い致します

1967年4月、東京で生まれました。私の祖父が体調を崩した時、小学校2年生の頃に大阪に帰りました。経営の勉強をする為に大学に行ったのに、ご存知の通り大学では経営の勉強なんて出来ません。 入ってすぐ、6月くらいに尊敬出来る先輩のところに弟子入りし、先輩2人と自分で株式会社リョーマという会社を作りました。

大学3年生の時に、東京大学の学生を社長にしてダイヤルQ2を使った情報通信のサービス会社を立ち上げる話がありまして、自分も起業に参加して出資しました。大学は無理矢理卒業したのですが、卒業した翌月にその会社、ダイヤルキューネットワークが潰れてしまったんですね。事業は徳間書店に買い取ってもい、ダイヤルキューネットワークの事業をなんとか軌道に乗せて行こうと頑張りました。1年半後にこの事業部はやらないことになり、徳間書店に配属が出たのですが、就職する為に会社に入った訳ではないので入社の道は選びませんでした。大阪には帰れず、東京では就職するつもりもなく、必然的に起業という選択肢が残ったんです。

それから16年間、41歳の秋まで日広という会社を自分でやっておりました。3年前の2008年の5月にGMOインターネットに売却しまして、同時にシンガポールに移住して2年半。今は、日本人がシンガポールで起業する際のフルサポートをしています。ただ単にコンサルティングをする訳ではなくて、実際に出資して資本参加して、ステークホルダーになってアジアでの事業展開を行っております。

どうしてシンガポールという地を選んだのですか?

4年半前、いまも大躍進を続けているネット企業のグーグルから、世界中のビジネスパートナーを一堂に集めた大カンファレンスに招待を受けました。そこで日本人の視野の狭さに衝撃を受けました。世界的なグローバリゼーションの進行で、どんどん世界が狭くなって行く中、日本は海外に目を向けて活動して行かなければならないと感じたんです。そしてグーグルカンファレンスで体験したことを元に、国際的に活躍出来る日本人の起業家を育てて行こうと考えました。

会社がどこで売上を上げているのかなんて、これまではなんにも考えてこなかったから
こそ、視点を変える必要があると感じました。これからはアジアの真ん中で、アジアのビジネスを見渡せる視座が必要だということです。東京で見てもアジアは見えない。
しかし、人材の交差点、貿易の交差点、金融の交差点であるシンガポールであればアジアが見渡せる。

 「アジア全体を見渡しながら商売しよう」

そう考えて、シンガポールでビジネスを始めました。

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