2010.08.19

シェフの社会的地位の向上を目指す

株式会社シェフズバンク / 桑原 大輔

桑原 大輔

株式会社シェフズバンク 桑原 大輔

  株式会社シェフズバンク代表取締役の桑原大輔社長にインタビューを行いました。「値決めレストラン・値決め食堂」「クラヤミ食堂」、雑誌やテレビなどマスコミで取り上げられる事多数。シェフのプロデュースビジネスという新境地を開拓しつつある今話題沸騰中の企業です。
 「東大卒のシェフが生まれる、そんな時代が5年後10年後に来る・・・・そんな時代に必ずして見ませます。」そうクールに語られる桑原大輔社長は若干 35歳。飲食店アルバイト時代から、プロデュース修行時代まで、誰にも負けない経験をしてきたと自負される35年間を振り返って頂きました。

「新しい物を作りたい、他の人と違う事がしたい、東京で一旗上げたい、それが全てです。」

桑原さんの生い立ちを教えて下さい

  福岡県の北九州市で生まれました。尊敬する人物はずっと祖父です。非常に怖かったのですが、会社経営をしていて、とても威厳があった事を今でも覚えています。
 小学校の時から高校の時までずっと野球少年でした。中学の時は地元でもそれなりのプレーヤーで、特待生として強豪校から誘われたりもしましたが、今後野球で食べていけるかは不安で普通の県立高校に進学をしました。

当時の桑原さんの性格について教えて下さい。

  「新しいものを作りたい」、「他の人と違う事がしたい」、「東京で一旗上げたい」の三つです。なんか、昭和ですね。この気持ちは今も昔も変わっていません

大学はどちらに進学されたんですか?

  一浪して広島県の広島市立大学に入学しました。当時は初めて親元から離れて、いよいよ自分の人生が幕を開けた気分でしたね。大学では奨学金の補助を受けつ つ、更にアルバイトで自分の生活費も稼がなければならない苦学生でした。お陰でほとんど勉強が手につかず、第二外国語の中国語を落として留年が決定してし まうという本末転倒な状況に陥ってしまった苦い経験があります。

留年期間はどのような事をされていたのですか?

  アルバイトと映画鑑賞です。友人達と毎日8本位映画を見ていました。元々創作活動には興味があったので、僕の親友が映画監督をやりたいという一言がキッカ ケで映画を作る事になりました。そこで「ひまわり」という映画を撮る、「ひまわりの会」を結成しました。僕がプロデューサーをやると名乗り出て、素人なが ら一生懸命に人を巻き込んでいって、最終的に100人の人達を映画撮影に関係しました。結局公開はしなかったんですけどね(笑)今でも「ひまわりの会」の 皆とは交流を続けています。

どうしてプロデューサーという立場を選んだんですか?

  元々表舞台に出るより裏方が好きなんです。未だにプロデュースに関わり続けているという事も、自分が作り上げた物で皆さんが喜んでいるのを陰から見るのが性に合っているんだと思います。

アルバイトはどんな事をされていましたか?

  飲食店でアルバイトをしていました。割と楽しく働いて過ごしていたのですが、その頃は飲食業界で働く事になるとは思ってもみませんでしたね。
 当時のアルバイト先で今のお師匠に出会いました。広島で10店舗くらい運営している外食産業の部長さんなのですが、「お前面白いな」とすごく気に入られ たんです。別の店舗に連れられて、学生ながらにフロアリーダーを任されました。学生の時にそういう責任ある仕事を任されて非常に嬉しかったですね。それに 仕事に対するプライドを培う事ができました。
 その部長さんとはその後も長くお付き合いする事になるのですが、それはまた後でお話しますね。

就職活動も外食産業を受けたのですか?

  いえ、違います。どうしても東京に出たかったので、某アウトソーシングの企業に入社しました。当時は「これから人材派遣の時代が来る!」という風潮だったのですが、特にそこに興味はなく、東京に出たい一心でしたね。
 ただ、東京で一旗上げると言っても、当時は何をツールにするか漠然と模索していました。

外食産業に入ったキッカケは何ですか?

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