2011.11.10

寝ても覚めてもどんな時でも、全ての夢は叶う。

株式会社和田総研代表取締役社長 / 和田一夫

和田

株式会社和田総研代表取締役社長 和田一夫

今回取材に伺ったのは、株式会社和田総研の和田氏です。元国際流通グループヤオハン代表ということで、ご存じの方も多いかもしれません。

世界に通用するヤオハンを立ち上げた一方で、1600億円もの借金を負ったことがある和田氏。はたから見たら、そんな失敗は考えられないし、普通立ち直れないかもしれません。しかし、そこから何度も立ち上がり、挑戦し続ける和田氏。そのエネルギーの源は、夢の持ち方にありました。

 

『日本一の八百屋になること』

生い立ちについて教えてください

 実は僕は月足らずで生まれてきた未熟児でした。小さなころはとても身体が弱かったので、父も母もとても心配してくれ、冬には体が冷えないように湯たんぽを3つも4つも用意してくれたそうです。だから、今思うと82歳まで生きられるとは思ってもみませんでした。


小さなときはどんな子だったのですか?

両親に過保護に育てられたこともあり、幼いころはすごく弱虫で、喧嘩をしてもすぐに泣かされて帰ってくるような子でしたね。

そうなんですか、勉強ではいかがでしたか?

 僕は勉強もあまりできない子でした。そんな僕に母は熱心に教育をしてくれました。 
学校の成績は当時『甲・乙・丙』だったのですが、僕は丙ばかりだった。特に体操・音楽など実技はみんなダメでした。
  逆に甲をもらえたのは算数ぐらいで、母の熱心な教育のおかげで、4〜5年生では、グンと成績が伸びました。父と母はヤオハンという八百屋を経営していたので、僕を商業高校に進学させたいと思っていました。算数を熱心に学ばせられたのも、簿記に強くなって欲しいとの願いがあったからだと思います。その親の意向通り、僕は商業高校に進学することになりました。

 

高校生活はどんなものでしたか?

 僕が16歳の時はまだ、太平洋戦争が続いていました。勤労動員に行かねばならず、横浜の三菱造船所で働いていました。だから、今の人たちは本当に恵まれているとうらやましく思ってしまいます(笑)

 

では、和田様に比べたら幸せすぎるくらいの現代の学生たちに『絶対これだけはやっておいてほしい!』と思うことを教えてください。

 一つでいいから、どんなに小さくてもいいから、本当に自分がやりたいことを見つけてください。ちなみに僕のやりたいことは『日本一の八百屋になること』でした。

大学時代のお話もお聞かせください。

 僕は三島にあった三島予科に行きました。学生団体に所属していて、当時共産主義にすごく魅力を感じていました。そこでの活動で、僕は退校処分になってしまったんです。しかし、母が予科長のところへ説得しに行ってくれたおかげで、何とか退校を免れることができたという経緯があります。一言でいえば、問題児だったんですね(笑)。
  それともう一つ、僕の人生に大きな衝撃を与える出来事が起こりました。それは、僕の家が、火事にあったんです。その時僕は、母から頼まれていた火災保険に入るのをすっかり忘れており、200万円の保険金をもらうことができず、大失敗をしました。これは人生最初の大失敗でした。

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