2013.04.11

日本の教育に、イノベ-ションを起こす

株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ / 平石郁生

平石郁生

株式会社サンブリッジ グローバルベンチャーズ 平石郁生

1963年、福島県出身。 大学卒業後、コンサルティングファーム、外資系広告代理店等を経て1991年に起業。
1990年代後半よりネットビジネスに携わり、株式会社ウェブクルー(自動車保険の見積り比較サイトがブレイクし、2004年に東証マザーズ上場)の創業に参画。
また、2000年3月、株式会社インタースコープ(高付加価値インターネットリサーチを提供。2007年にYahoo! JAPANに売却後、2010年にマクロミルと経営統合)を創業し、代表取締役社長に就任。 2002年には共同発起人としてインターネットリサーチ研究会を設立し、会長に就任。 インターネットリサーチ業界の発展に貢献する。
2011年3月、株式会社サンブリッジ Global Venture Habitat 東京オフィサーに就任し、 同年5月、ベンチャーナウ竹内氏と共同で、創業間もないベンチャー企業とエンジェル投資家の ネットワーキングを主目的としたプラットフォーム「Innovation Weekend」を立ち上げる。
2012年1月、株式会社 サンブリッジ グローバルベンチャーズを設立し、代表取締役社長に就任(現任)。 法政大学経営大学院(MBA)客員教授、ベンチャー企業の社外取締役等を兼任。
「世界に挑戦する人」を創出し、広く社会に「勇気と自信」と「希望」をもたらす 「グローバルイノベーション」を創造するを理念に、精力的に活動中。

 

「世の中の役に立つことが大切」

平石様のブログを読ませてもらいました、 特に若い世代に対しての強い想いを感じました。

 今まで合計8社の創業に携わり、1社(ウェブクルー)は東証マザーズに上場、1社(インタースコープ)はヤフージャパンに売却しました。 月並みな言い方ですが、いろいろな苦労もしましたし、多くの縁や運に恵まれて、ここまでやってこれました。起業してビジネスを立ち上げることは、簡単なことではありません。 一方、ビジネスをすることで初めて見えてくることや、気づくことがたくさんあります。 多くに縁や運に恵まれた分、その経験を若い方々に対して少しでも伝えたいと思っています。


平石様の今を形成した、大きなポイントはどの部分だと思われますか?

 やはり、両親ですね。 自分の両親の元に生まれたのは縁、そして運です。 親から引き継ぐ能力や才能、どういう両親のもとに生まれたかが大きいですね。 父は病院の事務長、母は小学校の先生と、2人とも公共サービスをする組織で働いていたのですが、両親の存在は自分にとって本当に大きな影響がありました。 両親から、お金ばかりを追うのではなく、世の中で役に立つ事がどれだけ大切なのかを教わりました。  

ビジネスだけというよりは、家族や家系を特に大切にしてらっしゃる印象があります。その2つのバランスはどのようにとられているのでしょうか?

  実は、会社を始めてからの僕は、仕事が人生の95%という日々を送っていました。子供もいなかったので、自分のことだけ考えていればよかったわけです。 但し、子供が生まれたことで、僕の人生観は大きく変わりました。 自分の仕事に夢中になっているなかで結婚をしたのですが、改めて振り返ると、妻には散々無理を聞いてもらっていたと思っています。 会社の経営が上手くいかず、1年半の間に、夫婦で外食(夕食)をしたことが1回しかなかった時期もありました。 そして、普通のサラリーマンに戻ろうと思ったこともありました。 しかし、妻は「一度、サラリーマンに戻ったとしても、あなたは必ず、また、自分でやりたいと思うはず。私にできることは何でもするから、今、頑張った方がいい」と言ってくれました。僕という人間を、よく理解してくれていました。



奥さんの存在は、本当に大きかったのですね。

 そうですね。僕と結婚したことによって、僕の人生に妻を付き合わせてきました。 妻の両親も既に他界していますが、父親は才能のある芸術家でした。しかし、お金や名誉には一切、興味がない人で、お酒を飲ませてくれれば仕事をするような人だったようです。そんな父親だったので、家庭は経済的に決して余裕はなく、妻は4年制の大学に行くことができず、仕方なく短大に行ったそうです。そのことが彼女にはショックだったようです。
  妻は僕が数人の仲間と創業したインタースコープという会社の創業メンバーのひとりで、創業後、約2年間はインタースコープで働いていましたが、2年目の夏、彼女の父が「3度目の脳梗塞」で倒れ、その看病で忙しくなりました。 父親を移す介護病院を探し(これが大変でした)、手続きをする必要もあり、また、そもそも、彼女はベンチャー企業という環境に向いていたわけではなく、インタースコープを退職することにしました。 しばらくは、父親の面倒を看ていましたが、ある時、彼女から「大学に戻りたい(3年生として編入)」という相談をされました。大学に戻り、臨床心理を勉強し、大学院に進み、その後は臨床心理士になりたいということでした。
  彼女は、編入試験の準備のために予備校に通うことも含め、6年間は「学費」がかかるこを気にしていたようですが、インタースコープも軌道に乗りつつあり、ある程度のお金があったので、「学費のことは心配せず、自分が好きなようにして欲しい」と返事をしました。 周囲の人達、特に親戚は「(奥さんを大学に行かせてあげるなんて)偉いね」と私を褒めてくれていましたが、僕は「ようやく、僕が彼女の人生を手伝える番がきた」と思っていました。 その時、ただ一人、僕が幼稚園の頃、母親に代わって毎日、お弁当を作ってくれていた叔母は「良かったね。やっと恩返しができるね」と言ってくれました。「さすが、僕の心境を分かっているな・・・」と思ったことを憶えています。

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