2015.09.29

世の中の空気感をつかみ、それを具体化する

株式会社ガイアックス 代表執行役社長 / 上田 祐司

ueda-1

株式会社ガイアックス 代表執行役社長 / 上田 祐司

1974年、大阪府茨木市生まれ。 1997年、同志社大学経済学部卒業。起業を志し、ベンチャー支援会社に入社。 1999年3月、24歳の時に有限会社ガイアックス(現・株式会社ガイアックス)を設立し、代表に就任。 2005年、30歳で株式上場を果たす。 2005年、ピクスタ株式会社社外取締役、2012年、AppBank株式会社社外取締役、2014年、株式会社東京個別指導学院社外取締役に就任。 2010年から、ドリームプラン・プレゼンテーション(大会実行委員長:福島正伸)の審査員を務める。また横浜国立大学経営学部「経営者から学ぶリーダーシップと経営理論」をはじめ大学の講義にて講師を務める。成功とは「世の中に大きなインパクトを与える事」。好きな言葉は「効率は愛」。休日は趣味のトライアスロンを楽しむ。
ブログ:http://yujiueda.com/blog/

 

 

 

【勝ちにいかなければ、勝てない】

始めに、上田さんは大学生時代どのように過ごしていましたか?

 バイトをひたすらしていました。30個くらいですね。高校1年生時からバイトをしていたのですが、バイトを始めて最初は上下関係が厳しかったりするじゃないですか。でもバイトって仕事ができる人が立場が上で、年齢はあまり関係ないですよね。学校よりもバイトのほうが、活躍できる人がより活躍できる。なのでバイトにのめり込みました。1年生の夏は海岸で泊まりこみのバイトをしたり、世論調査のバイトをしていました。また、ハンバーグの屋台を自分でやりまして、自分で仕入れて自分で売るという経験をしました。バイトだと稼ぎがとられていると感じていたんです。ただ実際やってみたら、自分で試行錯誤して目の前のお客さんが喜んでもらえるのがすごく楽しいなって思いました。それが商売の基本なんだと実感しました。

なぜそれほどバイトをされていたのですか?

 お金を稼ぐというよりは社会勉強でやっていました。当時はインターンという仕組みがなく、社会を見る機会があまりなかったんです。それでやむなくバイトをしていました。深夜の土方のバイトでは、それこそ日ごろでは出会えない人たちに出会いました。英会話教材の販売のバイトでは、1歳上の先輩が年収1千万稼いでいて、そういったいろんな社会を見るにはバイトは良かったと思います。

大学を卒業して、株式会社ベンチャー・リンクに入社されていますが、もともと起業は志していたんですか?

 ベンチャー・リンク自体が独立する人しか雇わないというポリシーでした。僕は将来独立しようと思っていたので、ちょうどいいと思って入社しました。

そこから起業にいたるきっかけは何かありましたか?

  だらだらと生活していてもしょうがないなと思っていたので、東京に来て、部屋も借りずにカプセルホテルで生活することにしました。毎日24時くらいまで働いていましたね。カプセルホテルでは、趣味の荷物も置くところがないので全て捨てて、仕事にのめり込んでいました。そんな中、同期で一番仕事ができる山根麻貴(旧姓、現:小方麻貴)という女性に、あるとき将来一緒になんかしようよ」って言われたんです。そうだねとその場では返したのですが、翌日会社に出社したら、「私、辞表出したけど上田くんは出したって?」メッセージが来ていて、その時はやめるつもりはなかったのですが、なくなく会社を始めることになりました。

同期社員の即座の辞表提出がある意味起業のきっかけだったんですね。 ガイアックスの事業内容はどう決められたのですか?

 インターネットが当時盛り上がっていました。僕も小学生からプログラミングをしていて、山根さんもSFCで大学1年のときからシリコンバレーでインターンをしていて、今どきビジネスをするならインターネットだよねという感覚が2人の中にあり、自然に決まりました。

経営されていく中で、心がけてきたことはありますか?

 ベンチャー・リンクでベンチャービジネスの立ち上げ方を叩きこまれていましたし、経営の勉強も日々していました。ベンチャービジネスの重要ポイントは、勝ちにいかないと勝てないということです。そして、勝てない限り、世の中の役に立てません。

「STEP2へ進む」次ページへ続く≫